企業ブログの効用とはなんだろうか

企業サイトにおける「ブログ」の効用とはなんだろうか。
という疑問がふと浮かんだ。

というのも、あまり深く考えず、「ブログあったほうがいいかな」ぐらいの感じで計画に入っていたりするのだが、そもそも、その企業が「ブログで伝えるべきこと」とはなんだろうか。(もちろん戦略や場合によるというのは大前提として)

個人であればともかく、企業としてブログを書くというとき、情報リテラシーの徹底はまず大前提であろうと思う。企業のブランディングにも配慮が必要であろうし、責任者の了解なしに記事を公開、ということもあり得ないだろうと思う(とはいえ、大企業以外に、そんなしっかりとした公開フローが担保されているブログをあまり見たことがないのだが)。はっきり言って「手間がかかる」。そこまでして企業がブログを書く意味とは、実際問題、なんなのだろうか。

企業ブログの効果」とGoogleで検索すると、様々な記事が出てくる。効用ありと訴える声があると言える。どんな記事を書くべきかと言った指南書も多くある。
ブログ記事は企業のコンテンツの財産と思って書くべし、という内容の記事も見かけた。確かに、その意識でしっかりした内容を届ければ、有用であろうし、ユーザーにとっても良い話だ。けれど、企業が際限なくそういう記事を書けるかどうかといえばおそらく限界がある。「ブログを書く」こと自体が企業にとっての「本業」ではないはずだからだ(一部にそういう場合もあるだろうけれど)。多くの場合「本業」は別にあるはず。

一度記事を書けば、その情報は「どんどん古くなる」運命にある。状況はどんどん変わっていく。それに耐える記事というのは素晴らしいコンテンツであるのは間違い無いだろうが、そういうものをただ「ブログのひとつの記事」としておくよりは、企業の提供するメインコンテンツにしたほうが有用ではないか、とも思えてしまう。古くなった記事は、どうするべきだろうか。掲載を続ける?やめる?古くなってしまった情報に「手入れ」はどの程度考える?どんなものでもそうなのかもしれないが、その記事の「寿命が尽きるとき」を想像して、想定して、どう「仕舞う」か、ということは、重要なんじゃないだろうか。そうでないと、もしかしたら「使えないブログ記事」があちこちに溢れかえってユーザーが「本当に必要としている情報」にたどり着くことを阻害しないだろうか?

書籍や論文のようなものは、どんな「終わり」が想定できるんだろうか。形あるものだから、モノとして失われることはありうる。実際、そうなったものも数え切れないぐらいあるんだろう。

ブログに限らず、どんなコンテンツであろうと、それを仕舞う時のことに想いを馳せるべきではないだろうか。無用なコンテンツ(それを決めるのは誰なんだ、これもまた難しいな)がなるべく少ないほうが、インターネットは「有用」じゃないだろうか?(集合知ということを考えたら、「数が多いほうがいい」ということらしいので、これもまた一概には言えないかもしれない)
ただ、企業である以上、ブログであろうがそうでなかろうが、発信した情報について「責任」があるという考え方をするならば、掲載してからその記事が役目を終えるまで見守らなければならないと思う。そう思うと、コンテンツを持つということ自体、手間のかかることですね。

うまく運用すれば効用はあるだろう、しかしそれらの発信した「情報」に対して企業はその記事の役目が終わる時まで「責任」を持って見守らなければならない。
まだもう少し考えるべきことがあるような気がするけれど、とりあえず今回のところはここまで。

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