語る言葉を持たないということはより良くするための議論ができないということ

こないだ読んだ本の中で、ビジネスを戦争の比喩で語るのはいかがなものか、という指摘があって、気がついたことがあった。「あること・もの」について語る「言葉」の選び方によって、「あること・もの」がつまらなく見えたり、本質が歪むことがあるのだということ。
(読んでいた本:『一回半ひねりの働き方 反戦略的ビジネスのすすめ』平川克美 角川新書)

それから、今、こんな本を読んでいる。『誰のためのデザイン?-増補・改訂版』(D.A.ノーマン 新曜社)。認知科学の分野からデザインを考えた本で、初版では「人間中心のデザイン」とは何かを論じた書籍です。まだ1章しか読んでないけど、そこに、良いデザインの特性として「発見可能性」と「理解」があることをあげている。そして発見可能性を得るための心理的概念として「アフォーダンス」「シグニファイア」「制約」「対応づけ」「フィードバック」「概念モデル」をあげています。

なんでこんなことを書くかというと、こういう言葉や概念があることを知っていなければ、あるデザインを「良くしようとする議論」が立ちいかないからです。デザインに何かしらの問題があるとして、それが個々人の思う「なんとなく違う」のままだと、修正ができないけど、「シグニファイアがうまく知覚されていないのではないか?」「対応づけが理解しにくいのではないか?」などと切り分けられていけば、じゃあ、どういうふうにその問題を解決できるか?と話し合うことができるんだと思うんです。そういう概念とか言葉を持たないまま「なんとなくいい感じにする」ということだけでデザインの良し悪しが決められているから、結果的に使いやすくエラーのないデザインに仕上がっていかないんじゃないかな、と。

ウェブにも同じことが言えて、いろんなところからいろんな経緯を経てウェブを作る人になった時に、なんとなくみんな「話す言葉」が違っていて、戸惑うことが多いんですが、せめて、オライリーのシロクマとか、山猫とかを読んでいたら、話がしやすいのに、と、思うことが多いので、記事にしました。

そんなことを考えているのは私だけなんだろうか。
私と同じ言葉で話してほしいと、思っているだけなんだろうか・・・・。

せめて協働するチームの間では、語るための言葉がないと、お話にならないのではないのですかね、と思う次第なのであります。チームの他の人が読んでいる本を読んでみたら、その人が考えていることを、使う言葉を、もっと理解できるのかもしれない、ということかなあ・・・・。(私の最近の、読む本の選び方は、あの人も読んでいるから、ということが多いです。)本を読まないとこういう「言葉」を獲得できないのだと私は考えているのだけれど。本を読むのが苦手だという人も知っているから、なんとも言えないのだが。。。

コミュニケーションが、思考が、言葉に依っている部分が大きいということも影響するんだろうな。文字にならない、言葉にならないコミュニケーションも多くあり、大事ではあるんだろうけれど。

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